イッチキチミチキタ ─三瓶の社会科見学─ |
やりがいの源は「大漁旗」
─海の仕事って本当に大変ですよね。危険だし、力もいるし…私も義父の船で漁を手伝った事があるんですが、酔ってしまってきつかったです…。
「おれも酔ったよ、最初はな。慣れよ、慣れ。(笑)」
─最近は三瓶でも漁業を辞める方が多いですよね。
「昔は三瓶にもウチみたいな網元(あみもと)がだいぶあったけどなぁ。農林水産大臣から許可もろとるやつで80t型の船での漁は、五ヶ統(ごかとう)ほどあったな。下泊もあった。
でもみんな辞めてしもうて、今はウチ入れて二ヶ統だけや。魚がだんだんおらんなってきよるけんな。豊後水道いうのはええ漁場やったのに、今までおらん魚がおったり、ようけおった魚は全くおらんなったり。消費者は魚離れしよるし。」
ヶ統…例えば愛媛産業さんで言うところの「4隻1組」=一ヶ統 です。つまり漁に出る1チームという意味です。
─確かに私も千葉に住んでいる時には、全く魚を買いませんでした…。
「包丁もなかったんちゃうかっ!?(笑)」
─いや、かろうじてそれはありました!(笑)
「都会の人も魚買わんやろう、よぅさばかん言うて。うれしかろうと思ってお頭つきで送ったら、魚屋持っていかないけんし、ゴミ捨てるまで臭いしで迷惑がられそうやしなぁ。(笑) 」
愛媛産業さんのオフィスの様子。三瓶湾を見渡せ、さらに「えひめ丸」の出入りも見えるという、なんとも贅沢な環境デス!
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─それにしても漁をする企業さんが多数辞められてしまって、三瓶も寂しい限りですね。
「若い子に『三瓶に戻れや』言うても、働くところないわぃなぁ…。それに海の仕事は危ないし。網は何度も修繕できるけど、人の命はどうにも修繕できんけんなぁ…親御さんも心配で漁師させんかったりとかな。
…とは思うんやけど、若い子がもっとやってくれたらな。活気が出るんやけどね。」
─えひめ丸に乗っている方の平均年齢ってどのくらいですか?
「一番上は63、4かな。一番若い子が…お、今度26か7の子が乗るで。やっぱり40、50が多いわぃな。 全く漁の経験ない子らもおるよ。もぅウチらは、『船乗せてくれ!』言う若い子やったら、経験なかっても乗せるよ。大歓迎よ!なぁ!」
─えぇ!?漁って特別な仕事な気がするんですが…私がえひめ丸明日から乗ります、やる気だけはあるんです!言うても何もできなさそう。
「いやぁ!もう、乗ってもろて慣れさすだけよ!(笑)」
─もっと若い子も魚も戻って、また三瓶でも漁業が盛り上がるといいですね。
「そやね。海の向こうから大漁旗たてて『えひめ丸』が戻って来てくれたら、ほんま嬉しいもんな。気持ちええで! 」
写真左:
2005年・大漁旗を立てて正月を迎えるえひめ丸(提供:(有)愛媛産業)
写真右:
昭和61年・50年に1度行われる三瓶神社還幸祭で神輿を乗せて航行するえひめ丸(提供:「三瓶町ふるさと写真集 想いの足跡」)
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取材後記
…私の時間の都合という身勝手な理由によりまして、えひめ丸が八幡浜市場に水揚げする様子をお伝えしたかったのですが間に合いませんでした…。番外編として春頃に取材に行く予定ですので、そちらもお楽しみに!
さて愛媛産業さんのように、企業が経験のない若い子を育てる気持ちや仕組みがもっと増えれば、自分で土地や船を持たなくても若いやる気ある人たちが少しは戻ってきてくれて漁業や農業を見直す時代が来るんじゃないかと期待しています!
それにしても朝もやの中で、でっかい船とでっかい網と、それを何十人もの人で操る姿を見ていると、小さい家の小さいパソコンの前でパチパチやってる私の仕事ってなんとまぁスケール小さい事か…と思わずにはいられませんでした…内宮のおばさんが言われたようにホームページって世界中の人を相手にしてるハズなんだけど動きが小さいなー…。